元旦に、鎌倉市の日本三古天神の 荏柄(えがら)天神社に、散歩がてら初詣に行きました。
荏柄(えがら)天神社は、学問の神様菅原道真をまつり、受験生の強い味方です。
今年は辛丑(かのとうし)、新しいことに挑戦するのに適した年と言われます。
昨年は、コロナウィルスにより、色々な事がありました。
一日も早い収束を願い、皆様のご健康をお祈り申し上げます。
茶室は総合美と申し道具組にも気を遣いますが、全体のバランスを考えながら手持ちの道具類で組み合わせを考えるのも、又楽しみでございます。
季節の道具類でしつらえた空間に花が入る時、お席に命が宿るのを感じます。一般に、花は下座に飾ります。
諸飾り(もろかざり)では、真ん中の掛け軸を挟んで、上座に香合を下座に花を飾ります。下座は柱付(柱があるほう)ですが、部屋によってはわかりにくい事もあり、床の間の陽の光が入る方を上座、水屋が有る方を下座と考えるとわかり易いと思います。
香合が上座花を下座に置くのは、正客から花がみえ易い位置であり、又上座の陽の入るほうに花を置くと掛け軸に花の影が映るのを避ける為でもあります。掛け軸に人の絵が描いて有る場合もあり、花影で切る事は厭われます。
掛け軸が横物の場合、真ん中に置くこともあり、以前茶道の師に「見ごろ寛容という言葉もあり一概に決められないのよ」と教えて頂き、奥の深い事と思いました。 と言っても<茶の道>を学ぶ事は堅苦しいものではなく「重いものは軽く見えるように扱い、軽いものは重く見えるように、暑い時には涼しく見えるように、寒い時は暖かくみえるように」など、利休の教えは現代のおもてなしの心にも通じます。
「花は人なり」自分を磨きながら、花達と語り合いと考えております。
<茶道具取り合せ展>を、上野毛の五島美術館に見に行く。
紹鴎や秀吉等の消息文、桃山時代の楽茶盌等を含む茶道具など展示している。
庭園に三椏(みつまた)が咲いていて、昔、茶道のお稽古に毎年2月末ごろ、柱付に、ちょこんと挿してあったことが懐かしい。
小堀遠州が建立した寺院、大徳寺孤篷庵で茶会に参列しました。
青紅葉や苔が清々しく、心洗われるようでした。
茶会語、奈良国立博物館に国宝の曜変天目を見に。
星空のような色のお茶盌に、心奪われ外に出ると、神様のお使いの鹿が寄ってきて、紙袋を齧られてしまいました。
<光悦茶会>、京都鷹峯は紅葉が早く、もみじの絨毯を踏みしめ、光悦のお墓にお参りしました。
山々の紅葉に染まり、自然と一体になった気が致しました。
<光悦茶会>はお道具が素晴らしく楽しみな茶会です。
お姫さまが佇んでいるような澄んだ青磁の花入れは、気品があり、引拙~紹鴎~信長~秀吉~家康~永井信濃守と伝わり、北野茶会で秀吉により用いられたそうです。
<枕草子>の中に「青き壺に桜をいけた」とあり、文学に書かれた「初めての生け花」と言われますが、中国からの「青き壺」は、人々の心を魅了した事がわかりました。
後白河上皇の三女で幼くして賀茂の斎院に選ばれた式子内親王の死後、恋人の歌人藤原定家とに纏わる恋物語。
GINZA SIX観世能舞台で<定家>が上演され、会場内には装束と定家蔓が展示されました。
「元藤原定家の住まいに雨宿りした僧の前に、式子内親王の霊が現れ、墓前に案内される。経緯を聞き僧が読経すると、亡くなった恋人への思いで、墓に纏わりついていた蔓がとけ、女性は成仏し墓もかき消える。
その後、いつともなくまた蔓が生え、後年このつたは、<定家蔓>と呼ばれた。」という筋です。
定家蔓は5月~10月頃迄、枯れたと思ったら復活し可憐な花を咲かせますが、そんな由来とは思ってもみませんでした。
室町時代に建てられ、キリシタン大名・大友宗麟氏の想いはを汲んだ七組の石組からなる十字架が形づくられた石庭「閑民庭」、蓬莱山式庭園「独座庭」、茶庭は共に重森三玲作庭。
前田昌道ご老師が玄関脇のお部屋でお茶をたてて下さり、案内下さいました。
茶室餘慶庵(よけいあん)、安勝軒、平成待庵、どれも素晴らしく、どのお部屋にもご老師お手ずから朝お摘みになられた花が飾られていて、至福の時を過ごさせて頂きました。
大徳寺聚光院伊東院は、千住博画伯の襖絵が描かれています。
裏千家の友人に誘われ茶会に。
千住画伯の滝の襖絵は清々しく、雨に濡れた苔庭の風景と相まって、思い出深いお席になりました。お天気の時は海と伊豆七島が見えるそうです。
帰りは、座席まで金目鯛柄のリゾート21の<金目鯛号>、ワイドビューの眺望席でプチ旅行を楽しみました。
信州<猿庫泉>は、江戸時代に宗徧流の流渓和尚が、茶に適した水を探し求めた湧き水で、ひっそりと飯田市風越山の山麓に佇んでいます。
飯田と妻籠を結ぶ大平街道近くにあり、道を間違え大平宿まで山道を1時間近く走り人家もなく、途中、野生の猿が小さな橋の欄干に!一瞬で逃げていきました。
観音様があちこちに祭られ、信仰心にとんだ風が心地よい街道でした。
このホームページの写真や文章は<花雅流®(はなみやびりゅう)>に帰属しますので、無断掲載はご遠慮ください。